※写真は平安神宮の大儺之儀での『方相氏』
追儺とは、大晦日(旧暦12月30日)に行われる宮中における年中行事で鬼(疫鬼や疫神)を払う儀式のこと。最近では節分に行われることが多くなっています。平安神宮で節分に行われる『大儺之儀』では平安朝当時の「追儺式」が式次第、作法、祭具、衣裳にいたるまで再現されています。
⇒ 2018/2/3に行われた平安神宮・大儺之儀の写真は こちら
日本での大儺は、儺人は桃と葦でつくられた弓と矢をもち、方相氏・侲子たちは内裏を回り、陰陽師が鬼に対して供物を捧げ祭文を読み上げる。方相氏たちが鬼を追いやって門外に出ると鼓を鳴らして鬼たちが出たことを知らせ厄払いをします。
源氏物語では2つの場面で『追儺』が出てきます。
★第7帖・紅葉賀
元旦に参内しようとした源氏が紫の君の部屋を覗くと、紫の君は新年早々雛遊びの道具類を広げ、源氏に向かって真剣な顔でこう説明しています。
「儺やらふとて、犬君がこれをこぼちはべりにければ、つくろひはべるぞ」
(追儺と言って、犬君がこれを散らかしてしまった)
この帖では紫の君(藤壺の姪)はまだ雛遊びをする様な幼い女性。
あと、この帖では光源氏が藤壺(父である桐壺帝の后)と密通した結果の子供(のちの冷泉帝)が生まれています。
この帖の紅葉賀とは一の院の五十歳の誕生日の式典のこと。紅葉のころに行われた祝賀を意味しています。そこで光源氏と頭中将は『青海波(せいがいは:穏やかな波を表している)』を優雅に踊り、昇進しています。
★第41帖・幻
年暮れぬと思すも、心細きに、若宮の、「儺やらはむに、音高かるべきこと、何わざをせさせむ」と、走りありきたまふも、「をかしき御ありさまを見ざらむこと」と、よろづに忍びがたし。
(年の暮れに幼い匂宮が、『追儺ではなにを投げれば高い音が出るのだろう』と走っているのを見て、『もうすぐこんなかわいい姿を見れなくなるな』と出家を目指す光源氏が描かれています。
この帖では紫の君は既に他界しており、旧暦8月15日の紫の君の命日を前に身辺整理をしていると、光源氏が蟄居していた須磨で紫の君とやりとりを行った手紙が出てきて燃やすシーンが出てきます。
また、光源氏の正妻・女三宮は柏木と密通して不義の子(薫)を作っています。
追儺かおこなわれるのは『旧暦の大晦日』。つまり翌日は『新しい年』になります。
春になって木々に目が出て、夏の盛りには青々とした葉をつける。
秋になると葉は色づき、冬になると散ってしまう。
源氏物語では第1帖・桐壺で光源氏は生まれ、第41帖・幻で出家する姿が連想される書き方になっています。光源氏にとっての最盛期は紫の君と作り上げた六条院が完成した時でしょう。ただそこに『女三宮』という女性が嫁降してきてから坂道を転がる様に暗転していきます。ただ、柏木と女三宮の密通で『薫』という宇治十帖の主役が生まれているんですね。そしてそれは『光源氏と藤壺の密通・懐妊』と呼応しています。
このあたりの紫式部が『人生を四季にたとえた時間構成としての物語』とすると素晴らしくて、読む人に対して感動を与えるんでしょうね。
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