<洛南>石清水八幡

男山八幡宮とも言われていた石清水八幡は、奈良・大安寺の行教が貞観元年(859)に宇佐八幡宮のお告げを受けて勧請しました。弓矢の神・戦勝の神として武家の信仰も篤く、源氏の氏神として八幡信仰が全国に広まりました。


この神社が源氏物語に出てくるのは『玉鬘の帖』。夕顔の遺児・玉鬘は母の死後、4歳で乳母一家に伴われて筑紫へ下国。乳母の夫太宰少弐が死去した後上京できぬまま、既に20歳になっていました。その美貌ゆえ求婚者が多く、乳母は玉鬘を「自分の孫」ということにして、病気で結婚できないと断り続けてきたが、中でも有力者である肥後の豪族大夫監の強引な求婚に困り果てます。乳母は長男の豊後介にはかって船で京に逃げ帰った。しかし京で母夕顔を探す当てもないため、筑紫の国でもゆかりがあった八幡神に祈願するために男山八幡宮(石清水八幡)を訪れています。


<石清水八幡の基本情報>
拝観料 :境内無料拝観
拝観時間:06:00 ~ 18:00
公式サイト :http://www.iwashimizu.or.jp/top.php
住所  :京都府八幡市八幡高坊30


<石清水八幡のアクセス他>
(1)男山ケーブル「男山山上駅」より 徒歩5分

源氏物語散歩

紫式部が書いた源氏物語のモチーフになった場所を巡っています

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