2019.03.29 12:09Part4:女三宮降嫁から光源氏の暗転<若菜上・若菜下・柏木・横笛・鈴虫・夕霧・御法・幻(雲隠)>源氏の四十歳を祝い、正月に玉鬘が若菜を献じる。一方で朱雀院は出家に際して末娘女三宮の行末を案じ、これを源氏に嫁がせる。紫の上の憂慮はひとかたならず、源氏自身もほんの少女にすぎない彼女に対して愛情を感じられないが、兄帝の皇女を無下には扱えない。秋、源氏四十の賀が盛大に行われる。さらに翌年の春には明石女御が東宮の子を出産し、源氏の権勢はいよいよ高まりつつあるが、その陰で、六条院の蹴鞠の催しに女三の宮を垣間見た内大臣の子息・柏木は彼女への密かな思慕をつのらせるのであった。(若菜上)朱雀院五十の賀に際して女楽が催され、源氏は女三の宮に琴を教える。女楽の直後、紫の上が病に臥し、源氏はその看護に余念がない...
2019.03.29 12:07Part5:匂宮三帖・外伝的ストーリー<匂宮・紅梅・竹河>物語は源氏の死の数年後から始まる。ここで今後の物語の主人公になる2名の男性登場。天然の薫香が身から発するために「薫」、それに対抗して名香を常に焚きしめているために「匂宮」と二人は呼ばれる。<匂宮> 柏木没後の頭中将家の物語。源氏物語の中での外伝的要素が高い<紅梅> 鬚黒没後の一家の物語。源氏物語の中での外伝的要素が高い<竹河>
2019.03.29 12:04Part6:宇治十帖・浮舟を巡る三角関係<橋姫・椎本・総角・早蕨・宿木・東屋・浮舟・蜻蛉・手習・夢浮橋>光源氏の弟・八の宮は二人の娘とともに宇治に隠棲し、仏道三昧の生活を送る。みずからの出生に悩む薫は八の宮の生き方を理想としてしばしば邸を訪れるうちに、ふとしたことから長女・大君に深く心を引かれるようになる。都に戻って薫が宇治の有様を語ると、匂宮もこれに興味をそそられるのであった。(橋姫)匂宮は宇治に立寄り、次女・中君と歌の贈答をする。秋、八の宮が薨去。二人の姫君たちは薫に托された。薫は中君と匂宮の結婚を計画し、自らはを大君に想いを告げるが彼女の返答はつれない。しかし薫の慕情はいっそうつのる。(椎本)薫は再び大君に語らうが想いは受け入れられず、むしろ大君は中君と薫の結婚を望む。秋の終わり、大君...
2019.02.22 11:50恵心院四季を通じて境内に様々な花があり、訪れた人の心を和ませてくれる花の寺・恵心院。「往生要集」の著者として名高い恵心僧都源信によって再興されたため、恵心院と言われるようになりました。
2019.02.19 10:12<洛北>雲林院雲林院は、臨済宗大徳寺派大本山大徳寺の塔頭。かつて天台宗の大寺院として知られた平安時代の史跡でもあります。もとは淳和天皇の離宮・紫野院として造成されたもので、その後仁明天皇の離宮となり、やがて皇子常康親王に譲られました。
2019.02.19 10:08<洛西>大覚寺貞観18年(876)に淳和天皇の皇后(嵯峨天皇の皇女)が、父・嵯峨天皇の離宮・嵯峨院を寺に改めたのが始まり。後に上皇だ複数入寺して大覚寺統(南朝)を形成し、北朝・持明院統と皇統の勢力を争った。華道・嵯峨御流の総司所で、嵯峨天皇の命日には華道祭を行っています。
2019.02.19 10:05<洛南>石清水八幡男山八幡宮とも言われていた石清水八幡は、奈良・大安寺の行教が貞観元年(859)に宇佐八幡宮のお告げを受けて勧請しました。弓矢の神・戦勝の神として武家の信仰も篤く、源氏の氏神として八幡信仰が全国に広まりました。
2019.02.19 03:35<滋賀県> 逢坂関これやこの 行くも帰るも 別れては 知るも知らぬも 逢坂の関蝉丸によって詠まれたこの句が有名ですね。この句をモチーフに『源氏物語』の関屋の帖では、石山寺へ参詣する光源氏と、都に帰ってきた空蝉との出会いが書かれています。
2019.02.18 03:40<洛西>仁和寺世界文化遺産に登録されている仁和寺は真言宗御室派・総本山。京都の桜の終わりを告げるという「御室桜」が有名。北西の成就山には四国の八十八ヶ所霊場を縮小した「成就山八十八ヶ所霊場」と言われる巡拝コースがあり親しまれています。
2019.02.10 10:42<洛西>大原野神社大原野神社は、源氏物語では第29帖・行幸(みゆき)の最初に登場。この神社は延暦3年(784年)に桓武天皇が長岡京へ遷都した際、桓武天皇の后の藤原乙牟漏が藤原氏の氏神である奈良春日社の分霊を勧請して、しばしば鷹狩を行っていた大原野に祀ったのに始まります。春日神社を勧請ゆかりで、本殿前には狛鹿が鎮座していますね。