2019.02.22 11:50恵心院四季を通じて境内に様々な花があり、訪れた人の心を和ませてくれる花の寺・恵心院。「往生要集」の著者として名高い恵心僧都源信によって再興されたため、恵心院と言われるようになりました。
2019.02.19 10:12<洛北>雲林院雲林院は、臨済宗大徳寺派大本山大徳寺の塔頭。かつて天台宗の大寺院として知られた平安時代の史跡でもあります。もとは淳和天皇の離宮・紫野院として造成されたもので、その後仁明天皇の離宮となり、やがて皇子常康親王に譲られました。
2019.02.19 10:08<洛西>大覚寺貞観18年(876)に淳和天皇の皇后(嵯峨天皇の皇女)が、父・嵯峨天皇の離宮・嵯峨院を寺に改めたのが始まり。後に上皇だ複数入寺して大覚寺統(南朝)を形成し、北朝・持明院統と皇統の勢力を争った。華道・嵯峨御流の総司所で、嵯峨天皇の命日には華道祭を行っています。
2019.02.19 10:05<洛南>石清水八幡男山八幡宮とも言われていた石清水八幡は、奈良・大安寺の行教が貞観元年(859)に宇佐八幡宮のお告げを受けて勧請しました。弓矢の神・戦勝の神として武家の信仰も篤く、源氏の氏神として八幡信仰が全国に広まりました。
2019.02.19 03:35<滋賀県> 逢坂関これやこの 行くも帰るも 別れては 知るも知らぬも 逢坂の関蝉丸によって詠まれたこの句が有名ですね。この句をモチーフに『源氏物語』の関屋の帖では、石山寺へ参詣する光源氏と、都に帰ってきた空蝉との出会いが書かれています。
2019.02.18 03:40<洛西>仁和寺世界文化遺産に登録されている仁和寺は真言宗御室派・総本山。京都の桜の終わりを告げるという「御室桜」が有名。北西の成就山には四国の八十八ヶ所霊場を縮小した「成就山八十八ヶ所霊場」と言われる巡拝コースがあり親しまれています。
2019.02.10 10:42<洛西>大原野神社大原野神社は、源氏物語では第29帖・行幸(みゆき)の最初に登場。この神社は延暦3年(784年)に桓武天皇が長岡京へ遷都した際、桓武天皇の后の藤原乙牟漏が藤原氏の氏神である奈良春日社の分霊を勧請して、しばしば鷹狩を行っていた大原野に祀ったのに始まります。春日神社を勧請ゆかりで、本殿前には狛鹿が鎮座していますね。
2019.02.02 14:03Part1:光源氏の生立ちと遍歴の概要<桐壺・帚木・空蝉・夕顔・若紫・末摘花・紅葉賀・花宴・葵・賢木・花散里>桐壺帝と桐壺更衣との間に生まれた皇子(光源氏)。皇子が幼いころに母親・桐壺更衣が他界します。帝は元服した皇子を臣籍降下させて源姓を与え光源氏と呼ばれるようになり、左大臣家娘葵の上の婿に迎えられる<桐壺>宮中に宿直する源氏のもとに若い公達が集って「雨夜の品定め」を行う。翌日、源氏は伊予介の妻・空蝉と関係を持つことに。また、源氏は空蝉い度々逢瀬を求めるが拒み続けられる。<帚木> ある夏の夜、源氏が空蝉の寝間に忍びこむと、空蝉は察して衣だけを脱ぎ捨てて逃げてしまう。<空蝉>源氏は身分を隠したまま夕顔と関係を持つ。夕顔は親友・頭中将の元恋人。ある逢瀬の最中に六条御息所の生霊によって夕顔が死...
2019.02.02 11:31追儺(ついな:現在は節分行事)※写真は平安神宮の大儺之儀での『方相氏』追儺とは、大晦日(旧暦12月30日)に行われる宮中における年中行事で鬼(疫鬼や疫神)を払う儀式のこと。最近では節分に行われることが多くなっています。平安神宮で節分に行われる『大儺之儀』では平安朝当時の「追儺式」が式次第、作法、祭具、衣裳にいたるまで再現されています。 ⇒ 2018/2/3に行われた平安神宮・大儺之儀の写真は こちら